- ななしのフロムさんアニメには2つの基準がある
単純に楽しむためのアニメ
人間の想像力を刺激するアニメ
SELは後者
テレビというメディアで何ができるかの限界に挑戦している
もはやアニメの域を越えた宇宙的な次元感覚が待っているぞ
◆ストーリー
物語進行は断片的
市民ケーンのようにストーリーはアニメ全体とはほとんど関係ない
他のアニメみたいにストーリーで支えられてるわけじゃなくて雰囲気とキャラクターがお話を代弁してる
プロットはキャラクターに引っ張られて動いてるんだ
◆作画
期待する「アニメらしさ」はない
変態チックというかマニアック
独自のスタイルで引っ張っていくから覚悟して見てくれ
高画質オタクは悶絶しそうだから心の準備をしてね
◆サウンド
最小限のアプローチ
台詞は少ないが深い意味がある
効果音は少ないが視聴者に深い印象を残す
電線を通る電気の音、Lainがキーボードを打つ音、わずかな音楽の使用
これらが全体の印象を引き立てている
SELの強みの一つ
◆キャラクター
ここが一番輝く部分
Lainは今のアニメ界でも最も深くて共感できるキャラクターの一人
このポイントを説明するには本編を見て自分でテーマやモチーフを理解する必要があるんだけど簡単に言うとLainのキャラクターは人としての彼女からインターネットを介して神のように変わる過程を表している
「The Wired」とかいうやつね
シンプルなコンセプトかもしれないけどそれを取り巻く脇役キャラクターが魅力的なんだ
Lainの姉、親、友達など見た目とは違って実は深いキャラクターがそこら中にいる
◆結論
こんなに考えさせられるアニメは初めて
もし語りたい人がいれば宗教的シンボルやキャラクターの哲学的意味、ユング心理学の影との関連性とか時間を忘れて話し込みたいね
見る者の心深くに触れ特別な魅了状態を引き起こす体験を存分に味わってほしい
- アメリカLainはなんでもない普通の女子高生
毎日、Lainは日の光が差し込むミニマリストな家から出て白い石段を降りる
段の影が黒く浮き出るだけで認識することができるんだ
中村隆太郎監督の「SERIAL EXPERIMENTS LAIN」はその時代のアニメとして
そして未来においても革命的な作品として称賛されている
色彩の使い方がユニークでセリフも少ない
そのわずかな会話でも何が起こっているのか手掛かりはほとんど与えられない
でもこのSELは見るのをやめられない
アートに限りなく近いんだよ
線や陰影のシンプルさで動きを暗示する方法は圧巻
じっとしてるだけでも背筋が凍りつくような不安感が広がる
朝ごはんのシーンだって言葉も表情もないのになぜかすごくメッセージが込められてる気がするんだよね
電線がビリビリする音
ビルの端で微笑みながら自分以外の誰かと話してるような女の子
霧の中に消える学生たちの幻覚
これらのシーンが不気味で何かが起こる兆しを感じさせてくれる
ここでまだ引き込まれない気分でも安心してほしい
3話までの我慢は絶対に報われる
SELは退屈する場面がない
台所のシーンですら手やカップ、窓、ドアノブ、椅子まで全ての物が何かしらの意味を持ってるんだ
中村監督はデイヴィッド・リンチと同じくらいの天才だよ
目を離せない瞬間がいっぱいで何か重要なことを見逃すのが怖くなる
一番残念なのはもう初めてのように見れないこと
初めて観る経験をこれからするなら羨ましい限りだ
最後に中村隆太郎と「SERIAL EXPERIMENTS LAIN」に敬意を
- オーストラリア先に言っとくけどこれは本当に万人向けじゃない!
ストーリーはなかなか興味深くて複雑だ
いきなりある生徒が「この世界に存在する必要はない」とほざいて自殺する
その翌日、他の生徒たちがその死んだ生徒からメールを受け取るんだけど最初は迷惑メールかと思ったらそうじゃなかった
ほぼ全編が『The Wired』と呼ばれるもの(より進んだインターネットみたいなもの)と人間がそれをコミュニケーションの手段としてどう使っていくか、っていう話になるんだ
アニメは黒、紫、赤、黄を基調としたデザイン
影はほとんどが上記の色で構成されてる
絵柄は当時のものとしてはかなりいい
BGMに関しては大仰なものは少ない
なぜなら既に雰囲気がムードを決めているからだよ
時折、微妙な不気味な音が流れる
主人公のLainは興味深いキャラクター
ネタバレをしたくてしょうがないけどやめておく
最初は内向的な女の子として登場する
とてもシャイで感情をほとんど表さない
でもエピソード3から展開が加速し始める
絶対「えええっ!」ってなるから
あとLainの友達(3人組の中で1人だけが友達なんだけど)とか家族、黒服の男たちが出てきて、さらには「東方算法騎士団」と呼ばれる謎の組織まで!
最初はさっぱり意味不明なこともあるけどエピソードを進めるにつれて納得できる要素も出てくる
前のエピソードから伏線拾って全体像を組み立てるのも楽しい
繰り返すがSELは誰にでも向いているアニメじゃない
大部分の時間が迷子になる感じだし頭をフル回転させないと理解できない
大人向けのテーマも多い(エッチなのは含まれてないよ!)
キャラクターも興味深くてなんだか不思議なオーラが漂ってる
とにかくいろんな意味で「ミステリアス」が詰まったアニメだ
- ポーランド2769回も見たけど全然意味がわからん
俺は哲学とSFがめっちゃ好きなんだけどさ
メタフィジックスが矛盾してるし説明されないこともあってどんな理論を考えても何かが足りないんだよ
主要キャラはみんな薄っぺらくて感情のリアクションが一切ない
現代テクノロジーの影響を考えたいなら他にいくつもマシなアニメがあると思うぞ
俺の考えだけどこのアニメの目的はテクノロジーの急進化で世界や社会、現実、人間性などについての問題を再び問う必要が出てくることを示すことなんだろう
そしてそれらを事前に考える時間は実際にはなくて必要なときにはすでに手遅れなんだよ
結局、一般の人(ここでは視聴者)は自分の周りの世界で何が起きているのか本当に確かめることはできないんだ
信頼性が多少ある情報源を考慮するしかない
そういう状況がすべての陰謀論の元凶でありSELのプロットもそんなことを描いてる
このことがアニメというミニシリーズのメディアでどう表現されているかを見てみると……
13x25分もの人生を使って観る価値はほぼない
- アメリカ天才ハッカーガールのLainと謎のハッカーギルド「ナイツ」への調査が中心
ナイツは「ワイヤードの神」と呼ばれる存在に仕えており、死んだティーンエイジャーたちが物理的な体が死んでいるにもかかわらずメールを送り続け、オンラインで生存しているという一連の自殺事件に関連している
SELはサイバーパンクってレッテルを貼られがちだけど完全に合ってるとは言えないかな
西洋のサイバーパンクは通常「ハードSF」と呼ばれるものに結びつけられることが多い
つまり不可能な技術や超能力、魔法、超常現象とか一切出てこないのが特徴
SELの世界では超能力者が実際に存在する
カール・ユングが理論化した集合的無意識もリアルな存在として扱われてる
悪役は地球そのものの波動を使ってインターネットと現実の境界を壊そうとするしLainはネットの神として時間と空間を書き換える全能な存在になる
SELの脚本家、小中千昭はフィリップ・K・ディックやロバート・A・ハインラインよりもH.P. ラヴクラフトの作品をたくさん読んでいる
だからSELはネットについての話であると同時にコズミックホラーの一面もあるんだよ
Lainのキャラクターは1クールの短い時間枠を考えれば驚くほど複雑だ
オフラインの時は引っ込み思案で寂しげな少女
環境をコントロールすることはほとんどなく友達も1人しかいない
でもコンピュータに近づくと姿勢も表情も変わり突然自信を持って断言的になる
それがどこまで行くかというとオフラインのLainとオンラインのLainの間に完全な分裂が生じるくらいなんだ
ドストエフスキーの短編小説『二重人格』みたいな感じだな
この「オンラインとオフラインでのギャップ」を1998年に描いてるのは時代を先取りしてるとしか言いようがない
すべての中心にあるのはSELの解釈に基づいて言うとインターネットは偽りのメシアだということだ
1990年代のインターネットは人々をつなげると約束されたけど孤独感と孤立感をますます増していく結果となった
あらゆる人種、階級、宗教の人々が話し合いお互いに共感し合えるようにするはずだったのに
でも結局、人は他者の痛みに無感覚になり何もかもが現実味を欠いているかのようになってしまった
第2話で女の子たちはクラブでの銃乱射事件を目撃するが翌日の学校でそれを笑い飛ばす
「うおー!マジでビビったわ!今夜もクラブ行こうぜ!」
1998年のメディアでアメリカや世界の多くの地域が頻繁に発生する銃乱射やテロ事件にどのように対応していくかをこれほど完璧に予測したものは他に思い浮かばない
SELの政府は全くの無力
「ナイツ」というオンラインギルドが有害な情報を拡散しまくって自殺を教唆したり危険な薬を広めたりしているが何も手が打てない
しかもこれ日常的には何の変哲もない匿名の人たちだったりする
小説『1984年』では政府が情報の流れを完全にコントロールして99.9パーセントの人が同じ価値観を持って同じことを信じるようになると予測してたんだけど実際の世界は全然違うわけだ
成人有権者の5人に1人がQanonを信じる現状があり
アメリカ政府はアニメ掲示板の愚かな書き込みに対して何も手出しできずにいる!
SELが正しく1984は完全に間違っていた!
SELは生活の中で大切なものはオフラインにあることを教えてくれる
Lainはありすから学ぶ
人間の体は大事なんだ
心と心、顔と顔でしか真の関係を築けないってね
ここまで褒めてきたけどSELだって最後まで完璧なわけじゃない
全13話しかないのに第11話はほとんどフラッシュバック
本編に何も付け加えてないくせに時間をとってしまう
それから完全に脇道に逸れてロズウェルUFOの話をするエピソードもある
ここまで行くと自己満足に走ってる感じもするね
評価はちょっと10/10はつけられないし正直俺のアニメトップ10には入ってない
だが久しぶりに見返してみたらすごい楽しかったんだ
前はもっと厳しめに評価してたけど改めて見て名作だと気付くのは嬉しいよね
もし過去に観て5年以上経ってるならもう一回チェックした方がいいよ
- ななしのフロムさんそもそも人間って何が一番怖いのかな?
死そのもの?
いや、忘却だろう
愛したもの、大切にしてきた記憶、触れ合った人が消え去ることに対する恐怖
過去をどうしてそんなに大切にするんだろう?
それはノスタルジアなのか
人間のアイデンティティの一部なのか
「Serial Experiments Lain」は完全に規格外のアニメ
初見は「は?」ってなるレベル
ジャンルの枠を超えてるし見る人を選ぶと思う
今でも人気の理由はストーリーがまだ完全に解明されてないからだ
複雑なプロットをさらに難解に描写する
細部まで注意深く見ないとストーリーの内容を把握できない
インターネットの利用が当たり前になった今、この作品のテーマは更に響く
現実と仮想世界の境界が曖昧になる未来をほとんど予言してるみたいだ
SELは心理学、社会学、テクノロジーについて重いコメントをうまく結びつけるだけでなく人間同士の繋がりと孤独、そして世界の存在性というテーマにも独自のアプローチを持っている
アイデンティティ、存在主義、宗教についての深い思考を呼び起こす
それだけじゃない
現実、進化、神の存在に関するマインドベンディングな考えでも有名なんだよ
物語は暗示的で視聴者には直接何も伝えられない
しかしその暗示や手がかりを組み合わせると物語が形成される
答えを求めて探し回ることを強制されるわけだ
登場人物で特筆したいのはLainと親友のありす
二人は物理的な世界と仮想の世界、二つの面を象徴している
Lainは内向的で二重人格に悩む中学生
彼女を通じてインターネットが人格を二つに分裂させる力を描写している
一方ありすは現実的かつコミュニケーションが得意でLainの成長の鍵になる
他のキャラクターも物語には重要だけどLainとありすほどではない
SELのキャラクターの最も強力なポイントはそのキャラクタリゼーションの仕方だと思う
Lainは安っぽいセリフや無理やりな展開の会話で定義されるわけじゃなく行動を通じて描かれる
要するに視覚メディアにおいて「見せる」ことは「語る」ことよりも重要でSELはこのルールを完全に体現している
制作面では予算の制約があったがそれを逆手にとった
キャラクターデザインは他のアニメよりも現実的で感情移入しやすいようになっている
変な髪型、不自然な髪の色、巨大な目みたいな不思議要素は一切ない
キャラクターに投影しやすいように現実の枠組みを設定している
アニメの色調として深い青や厚い黄色、セピア色をよく見るけどこれは時間変化の表現に留まらず雰囲気や感情の高まりを伝えるための演出としても活用されてるんだ
そして毎回のエピソード冒頭のシティスケープのシーンなど「繰り返し」を効果的に使用している
BGMが少ないのも特徴
こんなにも音楽の少ないアニメも珍しい
沈黙やテクノ音の使い方は緊張感を生んで物語性を高める
「Serial Experiments Lain」は最高傑作のひとつだろう
異次元なテーマに焦点を合わせてストーリーの枠を超えテーマを発展させる方法を知り尽くしてる
攻撃的で深いテーマ探求
複雑で魅力的なストーリー
ホラー気味のナラティブスタイル
どれも脳の奥底に刻み込まれる体験だ
完全に新しい「現実」への視点を紹介する革命的なアニメである
Close the world
Open the next
この記事へのコメント
必ず数名はあげるのがこのアニメだったな。
生まれてからろくにまともにアニメなど観たこともない環境で育った外人たちが、
衝撃を受けただろうアニメの一つ。
それプレイしないことには難解と聞いたような気がするけど
当時の日本のBBSでは「小中がやりやがった」のレスで溢れていたが、海外ではいつもの感想と
何ら変わらず戸惑う意見すらなくて驚いたものだった
その頃の海外視聴者はカートゥーンとして楽しむウェーイ勢が殆どだったから仕方ないが
11話に内容がないと言ってる人は80年代以降のポップオカルトの文脈を踏まえてレインの作品世界がどういう経緯を経てきているかレインは何者なのかを説明してるのに、受け取れてないのよね。
最近はもはや市場で見ることすら稀。
lainを本当の意味で見たと言えるのは、リアルタイムに水曜日の深夜に目をこすりながらブラウン管(当時はまだそっちが主流だった)連中だけだったろうな。あの没入感はちょっと説明しづらい。
あとBOXに川澄綾子さんの名前があって草。彼女の役は序盤で廃人になる主人公の姉で、あとは「ガーガーピー」しか台詞がない。でも彼女は真剣に向き合い役柄を演じ、その姿勢に感銘を受けた政策側が最終回にわざわざまともな台詞を用意したというエピソードがある。
ゲーム性は皆無なんだけど、最終的にキャラクターがゲームを遊ぶプレイヤーの精神に干渉してこようとする展開はなかなか面白かったな
だけどあのゲーム最後までやるのは苦痛すぎるやろ…アニメならそうでもないのかな
プレゼントタイム
w w w w w w w w w w w w w w w w