・喪章のような黒い腕章。ここでのクマ(Kuma)とはなんだろうか。
・Kuma-Matagiのことだろう→クマタギ(クマリア様のような語感)
(マタギは、東北地方・北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指す。「狩猟を専業とする」ことがその定義とされる。マタギは漢字で書くと『叉鬼』、または『犭鬼(「けものへん」に「おに」)』となる。wiki参照)
・もちろん、ここにいるのは少女ばかり。
クマに屈服しない少女だけがこちら側にいられる。
・このアニメはぶっ飛んでる。
・A.I. Shock!
・サイボーググマ(熊)とは。ひねりまくって読みが追いつけない。幾原は手加減などしないね。
・あのハカイヘイキはそのままみたいだが、これもクマの変形とは言わないだろうな。
・あと2話残っている。あるいは…。
・サイボーググマ=元レズビアン? ホモセクシュアルと元ホモセクシュアルな人が対抗することは、両者を分かつということなのだろうか?
・サイボーグ化したクマのシーンは完璧過ぎた。キリンクマの力が無制限だってこと、初めて知ったよ。数匹のサイボーググマがいれば、小さな都市のエネルギー量くらい賄えそうだ。
・SWATのヴァン。トレッドミルで発電するクマ。
わかりませんね。
なぜ百合ヶ咲るるは百合城銀子を裏切るような真似をしたのでしょうか?
・(アニメ)のウテナのように、物語の枠に立つキャラが明白なナレーションを開始する。それによりメインキャラが、視聴者が観るものに沿うように演じ始めるのだ。裁判官は客観的なコメントを述べ、キャラクターの運命を示唆する。
・クマリア様の言葉に従うシャバダドゥは、ある意味真の主人公。
・「ルールはクール」これを実行する限りにおいて、彼らは人間とクマの間にある。
だからこそ、クマリア様は断絶を越えようとする者に
お尋ねになるのかも知れない
・ここの「断絶を越えて」というのは最早、文字通りの壁に言及しているのではない。「断絶」とは、「私」と、少女Aや少女Bといったひとまとまりの集団との距離である。誰かと親密になるために「彼女」は法廷へと赴き、何になりたいかを宣言しなければならない。
鏡に映る「己が身」を千に砕き、
万に引き裂けば、
・これはいくつか考えられる。例えば、鏡を破壊することはクマと同じように少女のアイデンティティを失うこと、あるいは逆に身勝手さやエゴといったものを諦めることだ。後者は、野生となってしまった銀子が必要とするものだね。
月の娘は勇気を振り絞ります
・この構図はとても素晴らしい。
ただ言葉もなく、約束のキスを友達に与え合いました
・このアニメは、やはり同性愛を表現するものなのか。
・いや、アニメはクマを描いているんだ。
・これで星は愛の儚さのシンボルではないことがわかった。
星は導きの通路(ガイド)なんだ。
わたしとあの娘…、
銀子が断絶を越える?
・もちろん、ハッピーエンディングは絵本の中だけに存在する。現実はもっと複雑である。
・絵本の朗読者が純花。注目ポイントだね。
・10話まで観て、シンボリズム(象徴性)の解釈部分はほとんど残されていないように思う。幾原は抽象度の高いメタファーで物事を覆ってしまうが、アニメの中で登場するデバイス(道具立て)は、そのままの意味を表していて、事実その通りに観てもなんら問題はない。
だけど、ユリという女の子同士の関係を煮詰めていくなら、これはウテナでやったことを踏襲するだけではないのか。
それを考えると(ユリ熊嵐独自のエンドがあると考えるなら)、クマは女性性の別の形ではない。完全にクマという種で、人間とは異なるのだろう。クマの基本的特性とは何だろうか。少女をガオガオすることだ。それは多分に男性的な力-動物的な本能-で、獲物を食べる。
では、異なる種同士(澪愛+ユリーカ、紅羽+銀子)が恋に落ちるとはどういうことなのか。「本物の愛」とはなにか?
ヒントは絵本だろう。両者が手をつなぎ、階段を上る。言い換えれば、壁に沿ってお互いの種を越えて行く。だから、ここではレズビアンの関係を突き詰めるのではなく、男性、女性、サイボーグ、その他すべての関係を対象にしなければならない。*ジェンダーバイナリを越えなければならない。(*個性といったものがありながら、男性・女性的なものにカテゴライズされてしまうこと)
わたしはクレちんに嫉妬したの。
だから、あの時、あんなことを
・お互いに本音を言い合うシーン。10話でとうとう打ち明けられたね。
るるは二人に約束のキスを果たして欲しいって
ずっと望んでたのに
・ライフセクシーは間違っていなかった。愛には様々な形がある。私達は、情熱や共感に突き動かされて、一時の判断に迷ったりする。。しかし、ルルは度を超えた献身性を貫いている。
どうして?
なぜ銀子に関する記憶だけが消えてるの?
・そう、これが残された最大の問題だ。
・ルルはこの世界の住人となるには、あまりにも優しすぎる。
・クマなのに誰よりも人間的なるるは、意図してつくられたキャラだろう。
失われたキスはもう二度と
・ルールのひとつ。
キャラクターたちが立ち向かうことのできないものがこれだ。
・同じクマが武器とされる。社会性を剥奪された同グループ内で互いに圧迫し合うことの暗示か。
・(真面目に)サイボーググマのこのみの発電によって、巨大な陰茎のユリからレーザーが放出される。対クマ用の「ペニスレーザー」。それでこそ幾原だ。
・銀子を逃した澪愛の行動と重なる。
・るるがかわいすぎてもうダメだ。一週間、僕は席を外すよ→冬眠して待つんだ。
言ったでしょう、あたしは熊を許さない
今度遭ったら、あたしは撃つ
・紅羽がようやく和解の心を見せた。厳格と頑固、そして怒りに満ちた心を上手く扱えるようになった。この抑圧された世界へ戻ってこないように、ルルの背中を向こう側へと押す。
・紅羽がるるを「ともだちの扉」へ運んでいく時のアヴェ・マリア、これに心の感情線がやられてしまった。
・クマ世界で降る雪が断絶の画面を越えて、私の目に飛び込んできた。滲んで見えるのはそのせいだろう。
・「ともだちの扉」を開くところは、ナルニア(Narnia)国物語を思い出した。
・それそれ。雪世界に続く衣装だんすだ。
(二度と戻ってこないで)こんな世界に
・典型的なセリフだが、それだけに真っ直ぐ伝わってくる。
「今よりも、もっと良い世界で会いましょう」
・紅羽はかつてクマだったが、それを覚えていないとしたらどうだろう。
・むしろ、「ともだちの扉」を境にして別れたことが記憶の消失につながっているのでは?
・冒頭のホラー風のワンショットに戻る。
今度は葉叢に潜むモンスターを登場させながら。
・紅羽はクマになるのか、それとも壁を越えてひとつになるのか。
・次回で、初めてのユリ非承認が見られるかも知れないな。
・クマとして亡命を言い渡されると思う。
・(カリフォルニア)
それはそれで面白いと思うが、正直ないと思う。人とクマの共存がテーマだろうから。
・もしくは統一ね。
・幾原は行き先を見せてくれた。パズルはそれ単体で組み合わさり、答えを出した。9エピソードを観てきた私達は、今(10話から)、最終幕へと続く階段を降りている。わくわくしている。本当にわくわくしている。
どうして紅羽はユリ法廷の場にいるのか。すべてのシンボルは意味を成すのか。銀子は紅羽を食べてしまうのか。るるは戻ってくるのか。興味を引き立てるものばかりだ。
・壊さなきゃいけない鏡はどこにあるのか。「ともだちの扉」がずっと目の前にあるなら、既に鏡として見ているはずだ。
・おそらく、1話の時点でその「鏡」は登場している。鏡を見ることは、つまり自分自身を見ること。比喩的に言えば、彼女たち自身を破壊することだ。
銀子は欲望に従い、紅羽を本当に食べようとしている。紅羽はクマを許さないと言い続け、絵本の結末とはかけ離れた行動原理を取っている。初めから、銀子は欲望と戦っていた。蜜子に純花を襲わせ「食べ」させたのは嫉妬心、そして純花がいては紅羽の注意を得られない恐怖心からそうしたのだ。同じように、紅羽も初めから復讐の道を探し続けた。それはクマが母親を殺したと信じていたから。
銀子と紅羽は鏡に映るそれぞれの像を破壊しなければならない。つまり、「断絶を越える」ために、現時点での最終目標、相互認識、全体的な状況の視点を彼女たちが得ることが必要となる。それがすなわち、本当の関係を築くことになるのだと思う。間違っているかも知れないが、これが今つかんでいる答えだ。
・与えれた情報から判断するに、かなり合理的な考えだと思う。
・鏡を壊すのはフィジカル(身体的)な差を破壊するためじゃないかな。
・ユリ熊はいいアニメだ。大好きなんだけど、一方でこのアニメが嫌という人のこともわかる。象徴性が多くて、語りがわかりにくいというのが一番の理由だろう。でも、もっと気楽に構えて観てもいいと思う。ユリ熊嵐ではクマはいないんだ。何を言っているのかって?
「断絶の壁」は個々を2つのグループに分ける社会的障壁(ソーシャルバリア)に過ぎない。あるグループはバリアの向こうのグループを排除しようとうする。「クマ」である女の子は人間以下に貶められたクマ(というステータスを付与された人間)だ。
女の子は透明でありたい-それは自分の気持ちに気づいていないとも言える-と思うことで排除という行動をする。「あなたの愛が本物なら」という言葉は、どうして排除などという行為をするのか、という問題提起として解釈できるだろう。あなたの心にはレズビアンが隠れているのではないか?
ひとつはこのテーマをあなたがアニメで見聞きするものに当てはめてみたらいい。気楽に観ましょう。
・(ケベック/カナダ)
幾原は物語を要約するのが好きなんだ。彼はXがYという象徴を表すとは確言しない。なぜなら、アニメを観てくれるファンのみんなの考え/知性をリスペクトしているから。彼自身の解釈、そしてファンの解釈、どちらも同じくらいに大事なものだと考える。まじめと風変わりな性質が入り交じっているのが幾原という人だ。
http://www.reddit.com/r/anime/comments/2z9bo8/spoilers_yuri_kuma_arashi_episode_10_discussion/
http://myanimelist.net/forum/?topicid=1362779
この記事へのコメント
中盤辺りからずっと思ってたけど、この話の運びだと最後にどういう結末を迎えるかで、評価もだいぶ変わってくるな
誰かを好きになって嫉妬してってのが壁を越えた熊の行動特性なんだろうかね。蜜子の存在についてはもう少し説明がある気がするね。
あれは明らかにメーサー殺獣光線車だよね
まあ外国人が知らないのはしょうがないが
自分も首を捻ったシーンが解説されててたり。
気楽に見ましょう
あと百合(の花)