ユリ熊嵐 第1話「私はスキをあきらめない」:海外の反応


・このアニメは…いったい・・・!?!?



・クマが人間を襲う…、これは確実な未来への警告だよ。手遅れになる前になんとかしないと!



・アニメ業界は、たったいま新しいレベルに到達したようだ。



・このエピソードでいったいなにが起きているのか誰か説明してくれないか?み
んなメタファーについて語ってるみたいだけど、プロットそのものがわからないんだ。




1.昔、突然クマは知性に目覚め、人間を食べ始めました。


2.クマと人間を隔てるために壁がつくられました。


3.金髪娘と眼鏡っ娘は(密かに?)恋に落ちています。


4.二人の女の子が新入生として、金髪娘と眼鏡っ娘のクラスにやってきます。


5.この二人の女の子はなんと人間に変装したクマだったのです。おいしそう
人間を食べるために壁を越えてきたのです。


6.クマは金髪娘を食べます。しかし、彼女は無事に目覚めます。(なぜ目覚めたのか、はっきりとはわかりませんが、おそらくクマは「性の象徴的なもの」を食べたのではないでしょうか)


7.眼鏡っ娘はいなくなります。たぶん、クマに本当に食べられたのか、連れ去られたのでしょう。



・丁寧にありがとう。でも、それはみんなわかってることだね。1話で感じたのは、核心を突く部分がメインキャラの想像になってしまっているということだ。メタファーが何を表すかということではなくて、メタファー表現によって隠されているんじゃないかということ。だから、何が本当に起こっているのかわからないんだ。



・この1話だけでプロットが詰め込まれていたからね。何が起こってるのかを知るには、次のエピソードを待つしかないよ。補足的な意味でね。



・これは幾原作品だからな。彼の作品では、いくつかのエピソードが合わさって初めてわかるようになるんだよ。全部の象徴が意味を持つわけじゃないし、ただのギャグテイストって結果もありうるんだ。1話の時点ですべてがわかる人なんていないよ。
 

 

 


・百合の恋愛はタブーとされている。壁は百合を分かつものとして存在している。レズのクマは紅羽を〈食べたい〉と思い、その比喩が、紅羽の胸から先出た「百合」の蜜(女性の象徴だ)を吸うことで可視化されている。そして、紅羽の花壇は〈奪われた〉。クマが人間の肉を食べることは禁止されているが、人間はなによりもおいしいものなのだ。でもそうせざるを得ない心の葛藤とは……。



・花壇が台無しになった場面は、紅羽と純花の芽生えかけた愛が切り取られてしまったってことじゃないかな。



・↑あぁ、そうかもしれない。幾原的な比喩だよ。



・「断絶の壁」と呼ばれているものが、もし、人間が絶滅の危機に瀕しているってことなら、次の2つが考えられる。


1.クマが人間を食べ過ぎたので、人間は絶滅の間際に立っている。


2.百合(の女の子)が多すぎて、子供がつくれず、人間は絶滅しかかっている。



・2.が正しいなら、百合が禁止されていることは理に適ってるね。そう考えると、レズのクマたちは蜜を吸い上げることによって紅羽のなかにある〈百合〉を目覚めさせたんだ。百合はクマの間では普通のことみたいだから、百合化することが、脚本の中心になるんだろう。特に、OPの最後では紅羽は二匹のクマに挟まれて、幸せそうに見えるしね。



・面白い考えだけど、あまりにもメタファーとかストーリーの含意するものに惑わされすぎじゃないか? 俺が問題だと思うのは、紅羽がすでに別の女の子と良い関係になっているということ。「クマ」というテーマが来る前に、視聴者は同性愛的な状況を受け入れているんだよ。だから、すべてのクマ=レズ/人間を食べる=禁断の恋(これはメタファー表現だけどね)だとか、他にもいろいろな考えがあるだろうけど、いろんなものを結び合わせるだけで、本筋からずれてしまってるんだ。



・確かに、百合が、「純粋な愛情」(人間たちがしているような)なのか、「欲望の愛情」(クマたちが見せる表現/禁断の恋)なのかの判断で混乱しているって人も見かけたね。考え出したらキリがないってことか。



・要約のおかげで理解できたよ、ありがとう。Bパートの後半でちょっと混乱してたんだ。それにしても、第1話なのにこんなに象徴的な表現が多いことにびっくりしたよ。



・それが幾原作品のトリックだからな。キャラクターやメタファーを前面に出して、舞台そのものを薄く見せるんだ(舞台もメタファーになってるんだろうけど)。俺の助言はこうだ。何も信じるな。かわいくて優しいキャラクターが、実はまったく違う性格かもしれないってことは知りようがないんだから。



・↑クレイジーなストーカーかも知れないってこともね。



・こうやってみんなが考察をするように仕向けるために、多くのテーマを作品に

内包するってのが、幾原作品のやり方だから。
 

 

 


・あぁ・・・、↓これが見たまんまじゃなくて、哲学だとは…。
 

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・要するに「物語シリーズ(西尾維新)」だな。



・実際、高校の描写を見た時に「あぁ、シャフトから影響受けたんだな」って思ったもんね。



・いやいや、それは逆だよ。幾原がシャフトに影響を与えたんだよ。で、彼と仕事しているシルバーリンクのスタッフは、ほとんどが元シャフト。



・え、まじで? 勉強になったよ、ありがとう。
 

 

 


・でさ、あの嵐ってなんなの? いや、まじめにさ、あの「透明な嵐」はなんだ? 「世界の終わり」の新しい表現方法なのか?



・あの嵐は、視聴者が、何が起こっているのかわからない時に発生するんだ。



・じゃあ、俺たちの98パーセント近くがあれを見てるってこと? 『ユリ熊嵐』を見ている大多数にとっては意味のないものなのか。



・そゆこと。幾原の狂気的な演出になじみがないなら、アニメを見るのが苦痛かもしれんな。みんなの反応から察するに、彼の罠にはまっているようだしね



・嵐があって、それは透明なんだ。ただそれだけ。
 

 

 


・あの二匹のクマは人間を食べるために壁のなかに侵入した。おそらくは命令無視で。俺の理論では、「断絶の壁」は、クマが人間を管理する囲いなんだ。狩りとか食料保存庫としてのね。人間は絶滅しかかっていて、クマが人間を食べる量を制限しなくちゃいけない。そのせいで、二匹のクマはとても腹を空かせている。そこで彼らは法を無視して囲いのなかに入った(その時、警報がなった)。それがクマの管理者たちにばれて捕らえられ、「ライセンスなしでの狩り、時期はずれの狩り」をしたために裁判にかけられた。


 緑の女クマは弁護人で、飢餓状態で罪を犯したクマの権利を守っている。青の男クマは検事で、食料は徹底して制限すべきだとの考えを持っていて、二匹のクマは欲望に駆られて罪を犯したと主張する。裁判官はこの法廷は「バランスを維持する」ためのものだと言っている。つまり、食料となる人間を適正に保持することだ。そして、彼は被告に情状酌量を示して、狩りを認める。二匹のクマは一度の食事を許され、純花を殺して食べる。紅羽はその裁判の様子を夢のなかでのぞき見る。



・その理論が正しいなら、嵐はクマの狩りの集団かその類ってことか。



・じゃあ、クマ共が文字通り花(人間)を刈(狩)っていくってことだな。
 

 

 


・背景美術がすごいな。特に↓これとか。

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そして、↓これは一体なにを示しているんだろう。

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・紅羽の母親と関係があるんじゃないか?
 

 

 


・ところで、
幾原って誰なんだ?



( ´・ω・)
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